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徳冨蘆花

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徳冨蘆花は日本の作家であり、肥後国葦北郡水俣村に生まれる。明治元年10月25日(1868年12月8日)生まれで、本名は徳富健次郎(とくとみ けんじろう)である。思想家・ジャーナリストの兄、徳富蘇峰がいる。5歳年長の兄に猪一郎(蘇峰)がいた。同志社を中退し、思想家の兄、徳富蘇峰創設の民友社に参加した。小説『不如帰』で文名を得、随筆『自然と人生』で独自の自然文学を確立した。『思出の記』、『黒潮』なども執筆した。ウ冠でなくワ冠を用いる「徳冨」の表記をこだわった。

蝶児(ちょうじ)来たりて舞い、蝉(せみ)来たりて鳴き、小鳥来たりて遊び、秋蛩(しゅうきょう)、また吟(ぎん)ず。静かに観ずれば、宇宙の富は殆んど三坪の庭に溢(あふ)るるを覚ゆるなり。
人間の目的は、富士山に登るようなものじゃと俺は思う。登りゃ登る程急峻(きゅうしゅん)困難になって来る。
幸福は心の貧しきにある。感謝は物の貧しきにある。
欠点は常に裏から見た長所である。
人生の旅にも、ある山角を一歩曲がると、たちまち見なれぬ新山川が埋伏(まいふく)よりおどりいでて、眼下に開展するに会うことがある。
あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう!生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!
地位ができたら気焔(きえん)は無くなる。
死ぬなら二人で!ねェ、二人で!
永遠の二字は、海よりもむしろ大河のほとりにあって思う。
世渡りの道に裏と表の二条ある。
人が自己の立場を知らぬほどあわれむべき事はあるまいと思う。
諸君、謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である。
つらい、といっても零落(れいらく)ほどつらいものがあろうか。上る一歩は荊棘(けいきょく)を踏んで汗だらけになろうとも、望みというものが、上にあって引揚げる。しかしきのうまでの栄華の夢を背に負うて、真っ黒い明日のおそれを懐にいだいて、ほとほと零落の坂を下って行く一歩一歩は実に血涙である。
世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり。
人は愛せずして生きることができず、また、愛されずして生きることはできない。
人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる。
死んで誰一人泣いてくれるものもないくらいでは、生きがいのないものだね。
人間の第一職分は、自家の天職を探求するのが第一で、其(その)天職をどこまでも遂行するのが第二の本分であろう。
九分九厘まで人力で押しつめても、残り一厘は如何(ドウ)あっても儘にならぬが、所謂(イワユル)天であろう。
ああ愛されぬは不幸なり、愛することの出来ぬは猶更(なおさら)に不幸なり。
得意の絶頂は油断の崖端(がけばた)であった。
子を知る親に若(し)かず、然(しか)も子を知らざることもまた往々にして親に若かず。
その所(ところ)を得ぬ総理大臣と、その所を得た小学教員と、どっちが幸福であろう。
負けるが怖さの中立は、卑怯の骨頂。
人は生きねばならぬ。生きるためには戦わねばならぬ。名は揚げねばならぬ。金はもうけねばならぬ。命がけの勝負はしなければならぬ。
感情を得て眼鏡を曇らすものだ。
土の上に生(うま)れ、土の生(は)むものを食うて生き、そして死んで土になる。われらは畢竟(ひっきょう)土の化け物である。
断崖、断崖、人生いたる処斯(かく)断崖多し。