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ヴィクトール・フランクル

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ヴィクトール・エミール・フランクルは、心理学者、脳外科医、精神科医で、オーストリアの生まれの俳優である。1905年にウィーンに生まれ、1933年からウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、1938年にナチスによるドイツのオーストリア併合により、強制収容所に収容された。その後、救済隊を設立し、戦争犯罪裁判に出席し、平和活動家としても活躍した。オーストリア共和国精神科医会会長を務め、『夜と霧』という著作は多くの文学賞を受賞し、世界中で何百万の読者を持つと言われている。

幸せは、決して目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。
まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的に何事かを成し遂げることだ。
何人(なんぴと)も彼から苦悩を取り去ることはできないし、彼の代わりに苦悩を苦しむこともできない。
あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。
すべてが奪われてもたった一つ奪えないものがある。それは人に残された最後の自由──どのような状況の中にあっても自分の態度を決める自由だ。
人間の生きがいは、その人が毎日行う行動の積み重ねである。
人間に残される最後の自由は、自分の態度を選択することだ。
どんな時も、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない。
人生におけるミッション(使命)というものは、つくるものではなく発見するものである。
与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
強制収容所での生活を送った私たちには、忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンのひと切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ。そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを、十分私たちに示してくれたのだ。
すべての人は、人生における独自のミッションあるいは仕事を持っている。その点において、誰もその人の代わりになることはできないし、代わりの人が自分の人生を反復させることもできない。
過去の人生から、苦しみ悩んだ出来事がすべてなかったら良かったと思うだろうか。多分、ノーというだろう。いやな時期だったとしても、ちょうど人生のこの時期に、自分が精神的に成長し、成熟したのだと分かっているからだ。
教育とは、決定する能力を目指しての教育でなければならぬ。
どんな瞬間にも、人間は決断しなければならない。より良くなるために、あるいは、より悪くなるために。それが、生きてきた証となる。
気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気を持っていることの証だからだ。