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藤本義一

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藤本義一(ふじもと ぎいち)は、日本の小説家、放送作家である。1933年1月26日に大阪府堺市にて生まれ、両親を亡くし、終戦時には闇市でレポ屋として家計を支えた。新制浪速高校を経て大阪市立大学法学部へ受験し、不合格となる。立命館大学法学部に入学したが、中退となり、和歌山大学の経済学部を受験し、教育学部へ合格した。夫人はタレントの藤本統紀子、次女はアーティストのフジモト芽子である。藤本義一は、大阪を舞台にした作品を書き、エッセイも多数執筆し、日本放送作家協会関西支部長とプロ作家を育成する心斎橋大学総長も務めた。

(ぼくには)過去の栄光なんてないんです。だから、新たに仕事に挑むことができる。
夫婦はね、趣味は別々で、価値観だけ一緒のほうがいい。その反対がいちばん悪い。
ライバルがいない人生は、島影さえ見えない大海のただなかにポツンと浮かぶ舟のようなものだ。進んでいるのか、後退しているのかさえわからぬ頼りのない人生。それはおそらく味気のない人生だと思う。
何がしたいというのは中学生までや。何が出来るかを証明せんと生きていけんで。
運は運ぶと書きよるね。行動しないと運はついてこないというわけです。
なにか一事があるとしよう。男は、大半は黙っているものなのだ。ところが、女性は、黙っている男を見て、ずるいと考えてしまったりする。これは、男は自分の感情を抑えて、自分の論理を組み立てようとしているからなので、女は、自分の感情をそのままぶっつけ合って、問題の解決を自分で企ろうとするからなんだ。そこに大いなる誤解が生じてくるような気がする。
プロを意識した途端に、すべての物事に対して貪欲になる筈だ。すべてを吸収しようとする。吸収するために、人は独自の工夫をするものである。
男の顔は履歴書、女の顔は請求書だ。
「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、成功の最大の秘訣は己の仕事に惚れぬくことでしょう。
ぼくは賭け事と仕事には、共通した要素があると思っているんです。それは過去の業績にとらわれたら負けだということですね。
人間の心を救えるのは、結局人間しかいないんです。
これまで原稿を2000万枚ぐらい書いたが、本当に自信があるというのは1%程度です。つまり20万枚。逆に言えば99%は文句を言われても返す言葉がないんですね。
仕事じゃと思うたら毎日がつまらんもんじゃけ。事に仕える(こと)ほど苦労(するもの)はない。それよりも、己に仕えると思うた方がええ。仕事より仕己じゃ。
先ず戦争を知っている人が戦争を止めないといかんのやな。
人生は己を探す旅である。
夫婦はパチンコ台のように、どちらかがクギ、どちらかが玉にならないといけない。両方クギでは静かすぎるし、両方玉ではムチャクチャになる。
行き詰まっても、他人がくだらないと評価するようなことを真剣にやっているうちに、思いがけない喜びが、天の方からガツンと来よる。だから人生も真剣に遊んでたらええのと違うか。
迷ったらダメなんだな。人生の答えなんて、考えたって分かるものじゃない。ただ、そのときそのときを、ぎりぎり一杯生きている奴だけに、その答えは見えてくるんじゃないだろうか。
「がんばれ」は自分に言う言葉ではあっても、他人に言う言葉ではない。
私の家では「疲れた」「しんどい」は禁句。そんなことを言っても何の役にもたたないどころか、まわりの人を暗くしてしまう。