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萩原朔太郎

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萩原朔太郎は1886年11月1日に日本の群馬県東群馬郡に生まれる。大正時代に詩人として新しい地平を拓き、日本近代詩の父と呼ばれている。子役時代から神経質かつ病弱で孤独を好み、一人で音楽を楽しんだ。1900年に旧制県立前橋中学校に入学し、従兄弟萩原栄次から短歌を学ぶ。その他、明治以降の文学界では評論家として名を馳せている。

どんな真面目な仕事も、遊戯に熱している時ほどには、人を真面目にし得ない。
愛は、その愛するものを独占しようと願っている。しかしながら、愛はそれに成功してしまった後では、競争もなく、嫉妬もなく、退屈で褪(さ)め易いものにかわってくる。
進歩とは──成長とは── 一つの標準すべき価値の上に、深く根付いた木の枝葉をひろげて行くことに外(ほか)ならない。
結婚の利益は、女性の本質を知ることであり、結婚の損失は、女性への幻滅を知ることである。
幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とは、その反対を記憶している人々である。
民衆の正義とは、富豪や、資産家や、貴族や、その他の幸福なものに対して、利己的な嫉妬を感ずることである。
生命は流れてゐる。
人はすくなくとも、3人の配偶(つま)を持たねばならぬ。一人は性欲の対象として。一人は家事の家政婦として。一人は優しげに、雨のうるおいをあたえる女性として。
社交の秘訣は、真実を語らないということではない。真実を語ることによってさえも、相手を怒らせない技術である。
原始以来、神は幾億万人いう人間を造った。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかった。人は誰でも単位で生まれて、永久に単位で死ななければならない。
人は新しく生きるために、絶えず告別せねばならない。すべての古き親しき知己から、環境から、思想から、習慣から。
女に於(お)ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、実には猛獣の激情に類するところの、野蛮の本能によるのである。
最も親しき友人というものは、常に兄弟のように退屈である。
詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。
想像力の消耗からも、人はその家庭を愛するようになってくる。
全ての場合を通じて、恋愛は忍耐である。未だかつて、性急者(せっかち)の成功した恋を見たことがない。
おもうに人間の感情というものは、極めて単純であって、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであって、同時に極めて個性的な特異なものである
酒は文明に対する一つの諷刺である。
人の年老いていくことを、だれか成長と考えるか。老は成長でもなく退歩でもない。ただ「変化」である。
すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る。
全てのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う
五月の朝の新緑と薫風(くんぷう)は私の生活を貴族にする。
一般に人が酒をのむ目的は、心地のよい酩酊に入って忘我の恍惚を楽しむにある。ところがある種の酒飲みは、飲酒によって全く反対になる。
我々の子供は、我々の中での原始人である。
教育は猿を人間にしない。ただ見かけのうえで、人間によく似た様子をあたえる。猿が教育されればされるほど、益々滑稽なものに見えてくる。
愛をもとめる心は、悲しい長いつかれの後にきたる。それはなつかしい、おおきな海のような感情である。
詩は悦ばしいものであるけれど、詩を求める人生は幸福ではない。
人は一人一人では いつも永久に 永久に恐ろしい孤独である
詩は学問でもなく技芸でもない。詩は時々燃焼していく生命の記録、主観の思いあまった「訴え」に他ならない
父は永遠に悲壮である。
男と女とが互いに相手を箒(ほうき)とし、味噌漉(こ)しとし、乳母車とし、貯金箱とし、ミシン機械とし、日用の勝手道具と考える時、もはや必要から別れがたく、夫婦の実の愛情が生ずるのである。
変化しつつあるものは何だろうか?芸術でない。政治でない。我々の時代の家庭である。
人々は求婚から、人生の避けがたく妥協的で、好(よ)い加減のところであきらめる外(ほか)、満足のないという事実を知る。彼等はそれから卑屈になり、高邁の理想を捨ててしまう。
ああ婦人は窓にふる雨の点々、しめやかな音楽のめじろいのようなものだ。
「真面目になる」ということは、しばしば「憂鬱になる」ということの外(ほか)の、何のいい意味でもありはしない。
音楽の演奏者や劇の俳優達は技術家である。彼らは芸術家でない。なぜといって彼らは真の「創作」をもっていないじゃないか。
情欲は判断を暗くする。それの性急な要求がない時に、静かに熟考して妻を選べ!然るに人々は、生涯の最も悪い時期に結婚する。
敵への怒りは、劣弱者が優勢者に対する権力感情の発揚である。