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北村透谷

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北村透谷は、日本の評論家・詩人である。明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。東京数寄屋橋の近くに移住。東京専門学校に入学し、三多摩地方を放浪した後、同年に洗礼を受け、民権運動家石坂昌孝の娘ミナと結婚。翌年に長編叙事詩『楚囚之詩』を刊行、『厭世詩家と女性』を発表し文壇に登場した。

凡(およ)そ外交問題ほど国民の元気を煥発するものはあらざる也(なり)
明日は即ち永遠の始めにして、明日といえる希望は即ち永遠の希望なり。
つらつら人間の一生を見るに、罪ということよりも、罪ということを自ら知らざるものほど大(だい)なる罪人はあらじと、思わるなり。
人間の心の生涯は心の経験なり。心とは霊魂の謂(いい)にして、人間の命の裡(うち)の生命なり。
君知らずや、人は魚の如(ごと)し、暗(く)らきに棲(す)み、暗(く)らきに迷ふて、寒(さ)むく、食少なく世を送る者なり。
「単純」の隣家には「実行」あり。実行と単純と双(なら)びて初めて宗教の味あるなり。
女性は感情動物なれば、愛するよりも愛せらるるが故に愛すること多きなり。
人生は遠き古より、遙かなる未来まで、真個にこれ奇幻を極めたる一大ドラマたり。
人生実に測るべからざるものなり、人生実に知るべからざるものなり
人の世に生まるるや、一の約束を抱きて来たれり。人に愛せらるる事と、人を愛する事、これなり。
心はパンによりて活きず、霊によって生くるものなり。心の生くるところに独立あり。
われわれのほとんどすべての支出は、他人に真似んが徴候なり。
頭をもたげよ、而(しこう)して視よ、而して求めよ。
おのれあくまでも清しと思い、おのれ何処までも善人なりと信ずるものほどに、罪多きものはなかるべし。
恋愛は人世(じんせい)の秘鑰(ひやく)なり。恋愛ありて後(のち)人世あり。
人生に意味あるは即(すなわ)ち熱意あるが故(ゆえ)なり。
世界は意味なくして成立するものにあらず。必ず何事かの希望を蓄えて進みつつあるなり。
熱意は力なり。必ず到着せんとするところを指せる、一種の引力なり。