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マハトマ・ガンジー

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モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディーは1869年10月2日インド生まれの宗教家、政治指導者であり、インド独立の父である。彼はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンでの学びを経て弁護士となり、抗議活動を重ねるとともにインドの独立運動を推進していき、1947年にインドの独立を実現させた。また、彼はインド国民の自由を守るために非暴力による抗議を立証し、世界中で「非暴力の父」として尊敬を集めた人物である。

地位が高ければ高いほど、その責任が重い。
非暴力は臆病をごまかす隠れみのではなく、勇者の最高の美徳である。非暴力を行うには、剣士よりはるかに大きな勇気がいる。
恐怖が不信を生むのです。誰か一人でも恐れることをやめたら、我々は争うことをやめるでしょう。
学問の充実を願うならば、安逸(あんいつ)を退けよ。
幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態である。
人間は生きるために食べるべきであって味覚を楽しむために食べてはならない。
博愛を実践するには、最大の勇気が必要である。
人間全体は大きな海だ。二つ三つのしずくが汚れても、海は汚れない。
すべての善の行動は、最後は必ず実を結ぶ。
私は、手に負えない楽観主義者である。私の楽観主義は、非暴力を発揮しうる個人の能力の無限の可能性への信念にもとづいている。
愛はこの世でもっとも効果的な力だ。にもかかわらずもっとも謙虚である。
「正義」は実現する。私たちの存在と心が、十分に強くなったときに。
私の活動はすべて、私の飽くことなき人類愛に源を発している。
何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。
速度を上げるばかりが、人生ではない。
未来は、「今、我々が何を為(な)すか」にかかっている。
握り拳と握手はできない。
非暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである。
見るためだけの目は、世界に対して盲目となる。
非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ。
あなたが行うことはあまり重要でないことかもしれないが、それをすることがとても重要なのである。
心をこめないで言葉をさがすより、言葉をさがさないで祈りの中に心をこめる方がよい。
人間の英知を信用しすぎるのは賢明ではない。強者も弱くなるかもしれないし賢者も間違うかもしれない、と心に留めておくことは健康的である。
神は宗教を持たない。
他人に変わって欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ。
非暴力は暴力よりも無限に優れているし、許すことは処罰するより遥かに男らしい。
世界の運命を暴力によって蹂躙(じゅうりん)させない唯一の方法は、私たち一人ひとりがあらゆる暴力を肯定しないことにある。
われわれは数量的な力に頼らない。われわれは人格の力に頼るのである。
すべての人の目から、あらゆる涙を拭い去ることが私の願いである。
道徳と進歩と改善は、つねに不可分の関係にある。
多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない。
私が生きんがため、奉仕せんがために食べるし、また、たまたま楽しむために食べることがあっても、享楽のために食べることはない。
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。
あなたの夢は何か、あなたが目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。
私には見える。死の中に生が存在するのを。虚偽の中に真実が存在するのを。闇の中にこそ光が存在するのを。
祈りがなかったら、私はとっくの昔に気が狂っていたであろう。
精神性の最大の要素は「恐れない心」である。
善いことは、カタツムリの速度で動く。
私は失望するといつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいた。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は亡びている。それを思う。いつも私は・・・。
ゴールへ到達しようとの試みにこそ、栄光はある。
私は、どこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示しうるというのではなく、究極において正義が栄えるに違いないという断固たる信念を抱いているからである。
恐怖を生むのは弱さです。
その使命に対する抑え難い信念によって火がつけられた、決然とした人々からなる小さな団体は、歴史の流れを変えることができる。
恐怖は、マラリアや黒熱病よりも恐ろしい病気である。マラリアや黒熱病は体を蝕む。しかし、恐怖は精神を蝕む。
率直な意志の相違は、進歩の健全な兆候である。
非暴力は私の信念の第一章であり、また私の信条の最終章でもある。
あることを信じているのにそれを実行しないなら、それは不正である。
臆病者は決して道徳的にはなれない。
行動の最中には静寂を、そして休息においては活気を学ばなくてはならない。
善に協力するのは義務である。と同時に、悪への協力を拒否するのも義務なのである。
非暴力には敗北などというものはない。これに対して、暴力の果てはかならず敗北である。
真理のために苦しむことを避けるな。信念を守るために立ち上がり、戦うことを恐れるな。
非協力運動は、無意識のうちに悪に加担してきたことに対する抗議だ。
真実は神であり、神は真実だ。
もし、ただひとりの人間が最高の愛を成就するならば、それは数百万の人々の憎しみを打ち消すに十分である。
死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。
土を耕すのを忘れるということは、自分自身を忘れることだ。
愛あるところに生があり、憎しみは破壊に通じる。
(自分の)進歩が大きければ大きいほど、自分の無価値の認識もそれだけいっそう大きくなるものだ。
偉大な人は常に一人立つ。
あなたが決断したことについて、私は何とも言えません。結果を見て初めて、称賛されるべきかどうかがわかるということだけ、言っておきます。
人間の心の中には、闇の力と光の力の間で永遠の戦いが激しく行われています。
尊厳を保つためには金は必ずしも必要ではない。
あなたの行うことは取るに足らないことでしょう。しかし、大切なのは、あなたがそれを行うことなのです。
私の信仰は、計り知れない闇のなかでこそ最も輝く。
重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。
もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう。
心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世に無い。
ひとにぎりの人でも誓いに忠実であるかぎり、この闘争には、ただひとつの結末しかありえません。それは、勝利であります。
女性の直感は、しばしば男性の高慢な知識の自負をしのぐ。
我々をとりまく全ての物事は常に変化している。変化の源泉は生きる力にある。それは不変であり、結果を生んではまた創造する。
人間は自分が考えた通りの人間になる。
毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。
束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。逆境があるからこそ、私は走れるのだ。涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。
決して焦って約束をしてはならない。
喜びとは、勝利それ自体にではなく、途中の戦い、努力、苦闘の中にある。
あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。
善良さには知識が伴っていなければならない。単なる善良さは大して役に立たぬ。人は、精神的な勇気と人格に伴った優れた識別力を備えていなければならない。
友の幸福のためにどれだけ尽くしているか、そこに人間の偉大さを測る物差しがある。
自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したというそのことが重要なのである。
たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給え!世界から血走った眼で睨(にら)まれようとも、君は真っ向から世界を見すえるのだ。恐れてはならない。君の心に響く、小さな声を信じ給え!
臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神を持つ者は、一人戦うことを誇りとする。
内なる助けとなりそして快適が得られるかぎり、それは手にしておいた方がよい。
真実はすべて心の中にある。人はそれを探し求め、真実によって導かれなければならない。
生は死から生じる。麦が芽ぐむためには種子が死なねばならない
非暴力とは、生命あるものすべてに対する悪意の完全なる欠如である。それ(=非暴力の対象)は、人間以下の生命をも含み、害虫や野獣をも除外するものではない。
我々の信念は、常に燃え続ける灯火(ともしび)でなければならない。それは我々に光明を与えるだけでなく、周囲をも照らすのだ。
勇敢な人は、一人闘うことを誇りとする。
非暴力が人間の理法であるならば、未来は女性とともにある。
人類への信頼を失ってはならない。人類は海のようなものである。たとえ海の中の数滴が汚れていても、海全体は汚れない。
恐怖に屈すれば、真実さえも抹殺されてしまう。自らが正しいと信ずることを恐れずに実行する。
私にはクリスマスのお祭り騒ぎが以前からどうしても受け入れられない。それはイエスの生涯や教えに全くそぐわないように思える。
良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。
目標はつねに、我々から後ずさりする。
心の中に暴力性があるのなら、暴力的になった方がよい。無気力を隠そうと非暴力を口実にするよりは。
暴力によって得た勝利というものは敗北に等しい。それはつかの間のものだからである。
強さは「肉体的な力」から来るのではない。それは「不屈の意志」から生まれる。
万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは、けっしてその人のためにはならない。
満足は努力の中にあって、結果にあるものではない。