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奥村綱雄

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一般的には野村證券の祖とよばれる奥村綱雄は、昭和期の日系最大の証券会社「野村證券」を創業した実業家である。生家は滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市)の信楽焼の窯元を経営していたが、父が綱雄が6歳の時に大阪堺を移ったところから、野村證券の夢は始まった。1926年入社、1936年の満州視察団に参加するなどを経て、1945年に取締役就任、1947年に専務、1948年に社長へと変わりを遂げた。1951年に証券投資信託法を実現させるなど、大きな業績を残している。

ダイヤモンドは中央の面を囲み、多くの面が多角的に集まって底知れぬ光を放つ。会社経営もまたかくありたい。一人の独裁でもいけないし、多数の悪平等でもいけない。
部長は重役の仕事をしろ、課長は部長の仕事をしろ。
一つ上の仕事をやれ。社員(=平社員)は主任の、主任は課長の、課長は部長の、部長は役員の、それで初めて大きな仕事ができる。
女との別れぎわほど男の本性がハッキリと出るものはない。冷たい男は冷たい別れ方をする。物質万能の男は札束で頬をはるような別れ方をするが、情のある男は、同じ別れ方でも、脇から見ていて、涙を誘う切切たるものを残す。
人生には四つの関所──長い闘病・浪人・牢獄・放蕩(ほうとう)──がある。そのうちのどれかを突破した人がモノになる。
個が集まって全を形成するが、個は全あっての個であり、個あっての全ではない。