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坂村真民

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坂村真民は1909年1月6日に熊本県荒尾市に生まれ、熊本県立玉名中学校を卒業後、1931年に神宮皇學館を卒業。その後、愛媛県砥部町に住み、毎朝1時に起床し、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課でした。詩人として知られ、本名の昂(たかし)から真民の名で小学生から財界人まで愛された。代表的な詩として「念ずれば花ひらく」があるが、解りやすい物が多く森信三が後世まで残る逸材と評した。

光る 光る すべては光る光らないものは ひとつとしてないみずから光らないものは 他から光を受けて光る
あせるないそぐなぐらぐらするな馬鹿にされようと笑われようとじぶんの道をまっすぐゆこう時間をかけてみがいてゆこう
生も一度きり、死も一度きり、一度きりの人生だから、一年草のように、独自の花を咲かせよう。
雑魚は雑魚なりに、大海を泳ぎ、我は我なりに、大地を歩く。
咲くも無心散るも無心花は嘆かず今を生きる
人間いつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ。
一番恐ろしいのは自己との妥協だ。
青木が美しいのは自分の力で立っているからだ。
だまされてよくなり、悪くなってしまっては駄目。いじめられてよくなり、いじけてしまっては駄目。ふまれておきあがり、倒れてしまっては駄目。
幸せは、時には不幸という帽子をかぶってやってくる。
夜が明けるとういうことは、なんとありがたいことだろう。光が射してくるということは、なんとうれしいことだろう。
生きることの むずかしさ 生きることの ありがたさ 生きることの うつくしさ まかせきって 生きることのよろこびに 燃えよう
いつも心は燃えていよう、消えてしまっては駄目。いつも瞳は澄んでいよう、濁ってしまっては駄目。
自分が光るまで 光を吸飲しよう
川はいつも流れていなくてはならぬ。頭はいつも冷えていなくてはならぬ。目はいつも澄んでいなくてはならぬ。心はいつも燃えていなくてはならぬ。
道は数限りなくあれど、わが辿(たど)る道はただ一つのみ。花は数限りなくあれど、わが願う花はただ一つのみ。わが道をいかしたまえ、わが花を咲かしたまえ
闇深ければ 光もまた強し
死のうと思う日はないが、生きてゆく力がなくなることがある。そんな時お寺を訪ね、私ひとり、仏陀の前に座ってくる。力わき明日を思う心が出てくるまで座ってくる。
花は一瞬にして咲かない。大木も一瞬にして大きくはならない。一日一夜の積み重ねの上にその栄光を示すのである。
美しいものは美しい心でながめ、優しいものは優しい心で接し、その日その日を送っていこう。過ぎてゆく月日を宝のように大事にして、一度きりの人生を全うしよう。
念ずれば花ひらく
本気になると世界が変わってくる。自分が変わってくる。変わってこなかったら、まだ本気になっていない証拠だ。本気な恋、本気な仕事。ああ、人間一度はこいつをつかまないことには。