中野好夫
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中野好夫は1903年8月2日に愛媛県松山市に生まれる。彼は日本の英文学者・評論家として、英米文学翻訳者の泰斗として知られている。彼は徳島中学校でスパルタ教育に反発して退学し、まもなく東京帝国大学文学部英文学科に入学し、翌年卒業。その後、新聞社入社に失敗して千葉県の私立成田中学校で英語教師となり、1935年より東京帝国大学助教授として教鞭をとる。叡山の僧兵の大将としても知られていた。
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もし万一私の霊魂などが、死後にまで生き残り、地獄だか天国だかしらぬが、また同じ後悔と汚辱にみちた一生をウロウロくりかえさなければならないとすれば、それはもう居ても立ってもいられないやりきれなさであろう。
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友情とは、相手の人間に対する9分の侮蔑と、その侮蔑をもってしてすら、なおかつ磨消し切れぬ残る1分に対するどうにもならぬ畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の可能があるのではあるまいか。10分に対するベタ惚れ的盲目友情こそ、まことにもって禍なるかな、である。
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金がいらぬという男は怖ろしい。名誉がいらぬという男も怖ろしい。無私、無欲、滅私奉公などという人間にいたっては、ぼくは逸早(いちはや)くおぞ気をふるって、厳重な警戒を怠らぬようにしてきている。いいかえれば、この種の人間は何をしでかすかわからぬからである。