大前研一
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大前研一は、日本の教育・ビジネスコンサルタント、起業家、元マッキンゼー日本支社長。1943年2月21日に福岡県若松市(現北九州市若松区)に生まれた。1960年にオハイオ工科大学を卒業し、続いてマサチューセッツ工科大学経営学修士(MBA)取得後、マッキンゼー日本支社で働き始めた。カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策大学院教授、スタンフォード大学経営大学院客員教授を歴任した。現在は、ビジネス・ブレークスルー大学学長、韓国梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授、(株)大前・アンド・アソシエーツ創業者兼取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長等を務めている。この他、国内外において「ボーダレス経済学と地域国家論」の提唱者としても知られている。'
入社試験の時に体育会系のノリで「僕は何もできませんけど、人とはうまくやっていけます」っていうタイプ。いまの時代、そんな人間は求められていない。人とぶつかっても正しい事をやり遂げられる勇気を持っている人じゃないと役に立たない。
会社というのは「忙しい、忙しい」で40年経ってしまう不思議なところである。会社のいう通りにやっていると、なぜか毎日忙しい。20代でそういう流れに身をまかせる人生を設計した人は、40歳ぐらいになった時点で会社の方からお払い箱にされるだろう。何も特徴がないからだ。
親はあまりよく知らないことであろうと、よく知っていることであろうと、子供が教えてくれたら、「すごいね」「よく知ってるね」と多少大げさに驚いて、ほめてあげることが大事です。子供は自信を持ち、知識を持つことのメリットを知ります。また、親からもう一度ほめられたいという思いから、自分から進んで学ぶようになるでしょう。
子どもが何かをやりたいといったら、とにかくやらせてみる。絶対反対しないんです。親が反対したら、その子は親の人生を生きることになる。そのとたんに、責任は親にきますよ。やらせてみれば、責任は子どものものになる。子ども自身が、責任を持つことを理解しているなら、やらせればいい。
なぜ我々は経済的繁栄を追求する必要があるのだろうか?それは、簡単に説明すると、サイバー化が進んだグローバル経済の世界では、「勝ち組」が国境を越えて「負け組」からどんどん富を奪い、しかもその構造が固定化される恐れがあるからだ。
まず必要なのは、日本は今後、どういう教育制度を目指すべきなのか、という議論を始めることだ。さらにその前に「日本は、これからそもそも何でメシを食っていくのか?」ということを、国民全体が考えなければならない。
人の2倍考える人間は10倍の収入を得ることができる。3倍考える人間は、100倍稼ぐことができる。そして10倍考える人間は、時価総額1兆円企業の創業者になれる可能性もある。それが、今すでに始まっている新しい世界の法則なのだ。
お客の実像が見えていなかったら商売はできない。お客さんの非常に率直な意見が聞こえてくるような、そういう会社組織にする必要がある。そして、そのニーズに応えるものをつくる。最強の場所で、最強の人たちと作っていく。これしかない。
どんな組織でも悪い点を探すと必ず山のように出てくる。しかし、悪い点をなくすのは意味がない。それで良い会社を作れた試しがない。実際、良い会社を作っている経営者や大きな改革を断行した人はみんな、悪い点を直したりするのではなく、良い点を作ろうと努力している。
僕は、人生最後の瞬間に「ああ、オレの人生は良かった」と言い残して死にたいと思っている。だから結果の側から考えることにしてきた。今自分のやっている事は、最後の瞬間に「ああ、オレの人生は良かった」というために、必要な事なのかどうかを。
ロジックとは、客観的なデータや分析に裏打ちされた、思考の道筋である。そのプロセスが客観的であればあるほど、相手はその内容を認めざるを得ない。つまり「自分の考え」ではなく、「客観的事実」に語らせる技術である。
「他人の人生」を生きていて、楽しければ今はいいかもしれないが、問題がある。それは、いつか自分の人生ではないということがわかる「真実の瞬間(The Moment of Truth)」が必ず訪れるからである。
英米のアングロサクソン系や北欧の人々は、「What' If~? (もし~だったらどうするのか?)」という仮定法による論理的な応答が、日常の会話にも頻繁に出てくる。言語学的にも「このままだとこうなるから、そうならないためには」という議論をしやすい。
20代で勉強を始めて得意分野の歯を生やしてきた人は、40歳ぐらいから花開いてくる。そういう人は会社にとって使い勝手がいいし、いい意味でひと癖、ふた癖あるから、お客さんの間でも評価が高まってくるものだ。
30代の頃、松下幸之助さんと同じだけ生きたとすると、あと何回夕飯が食べられるのかと計算したら、1万8000食という答えが出たんです。有限だと思い知ったその時から、いいかげんに夕飯を食べないようになりました。