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ヴォルテール

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アナグラムのヴォルテールという名で知られるフランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet)は、フランスの哲学者、文学者、歴史家であり、啓蒙主義を代表する人物として有名です。また、百科全書派の学者の一人としても活躍し、『イフィリディ』『征服』『フィルヌーヌ』などの書物で知られています。

人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。しかし、一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が自分で決めることだ。
うんざりさせるための秘訣は、なんでもかんでもしゃべることである。
信じる理性の力を失ってもなお信じるところに、信仰はある。
常識は、誰でも知っているありふれたものではない。
歴史とは、犯罪と災難の記録にすぎない。
立派な愛国者であるとは、自国が商業によって繁栄し、武力によって強大になるように願うことである。
本能とは、思考に先立つすべての感情と行為である。
涙は、もの言わぬ悲しみの言葉である。
医者というものは、ほとんどわかっていない未知の病気を治療するために、自分でもわかっていない薬を処方するものである。
独創力とは、思慮深い模倣以外の何ものでもない。
何の仕事にも携わっていないことは、この世に存在していないことと同じである。
偏見は判断を持たない意見である。
幾何学においては、一般にほとんどの学問の場合と同様に、どれかある特定の命題が直接的な利益をもたらすことはめったにない。
犯罪には恐怖がつきまとう。それが刑罰である
作家は生きているうちは諷刺され、死ぬと賞賛される。
休息はよいことであるが、倦怠はその兄弟である。
この世の中で成功するには、力ずくでも、死ぬまで剣を腕より離さないことだ。
私は、あなたの言うことに反対だ。だが、あなたがそれを言う権利を、命にかえても守ろう。
人間は犬に似ている。遠くで他の犬が吠えるのを聞いて、自分も吠える。
この世界における大事件の歴史は、犯罪史のほかの何ものでもない。
絶望した側が戦いに勝つことがよくある。
自由であろうと望んだ瞬間に、人は自由となる。
自然は常に教育よりも一層大きな力を持っていた。
思考はヒゲのようなものである。成長するまでは生えない。
天性はつねに教育よりいっそうの影響力を持つ。
楽しみは、理性を備えたあらゆる生き物の目的であり、義務であり、目標である。
この世に運などない。全ては試練、刑罰、保証ないしは先見である。
神は現世におけるいろいろな心配事の償いとして、われわれに希望と睡眠を与えた。
神というものが存在しなかったら、「彼」を創造する必要があろう。
無理にひねり出した冗談と、巧(たく)まずして生まれた冗談とでは、大きな相違がある。
偏見というのは一般愚民の王である。
自愛は最大のへつらいである。
真実を愛せ。ただし過ちはゆるせ。
利得には聖堂がないが、崇められる。
恋は自然によって与えられ、想像によって刺繍(ししゅう)されたカンヴァスである。
聴く者には何も理解できず、語る当人も同様に理解していない。これが形而上学だ。
汝の幸せは他人の幸せによって作れ。
うまい洒落(しゃれ)は、洒落るつもりがない時に生まれる。同様に、我々が心を動かされるのは、その人にこちらの心を動かそうというつもりがまったくない時である。
立派にやり遂げたことに対する最大の報酬は、それをやり遂げたことそのものにある。
船が入港するまで待つな。船に向かって泳げ。
国家に尽くす者には祖先は必要としない。
真の欲求なくして真の満足はない。
機知とは自分の思っている事を人に推測させる余地を与えるために、半分しか言わない技術である。
自分のことを賢明と考えている人間は、まことにとんでもない馬鹿者である。
仕事は、倦怠、悪徳、欲の三大悪から我々を遠ざける。
頼むから静かに死なせてくれ
あまりに早くにあげた名は、何と重荷になることか。
虻(あぶ)が刺したくらいでは、威勢よく走っている馬をとめることは出来ない。
自分に理のある時は和解に応じ、先方に理のある時は訴えるのが得策である。
一般常識は決してそれほど一般的ではない。
全ての人間が生まれたのは男女の快楽のおかげである。
世間を知り、世間に寛大であれ。世間を楽しむためには、世間をかすめて生きるべきだ。
歴史は、自由な国においてのみ真実に書かれうる。
私は物体である。そして私は思惟(しい)する。それ以上の事を私は知らない。
友情は魂の結びつきである。
その年齢の知恵を持たない者は、その年齢のすべての困苦を持つ。
医術は患者を慰めることにあり、自然は病気を治す。
医者とは、ほとんど知識を持っていない薬を処方し、さらに少ない知識しか持っていない病気を治療し、全然知識を持っていない人間を健康にしようとする者のことである。
我々の一つの眼は人生のよい部分を見、ほかの眼は悪い部分を見るのに役立っている。前者の眼を閉じるという強い癖を持つ人は多くいるけれども、後者の眼を閉じる人はわずかしかいない。
人間は言うことが無くなると、必ず悪口を言う。
自尊心とは、空気でふくらませた風船である。ちょっと突いただけで炸裂して風になってしまう。
長いこと論争している場合は、たいてい、彼らは何を論じ合っているのか彼ら自身分からなくなっている証拠である。
本当の学問には、無駄に終わるような理論や研究は一つもない、と言える。
迫害されるのは英雄の運命である。
ひとたび金の問題になると、誰もかれも同じ宗派になる。
我々も宗教を欲するが、それは、もっとも神にふさわしく、最も我々のために作られた宗教である。一言にしていえば、我々は神と人間に仕えたいのである。
悪が物質から来るものとすれば、我々には必要以上の物質がある。もし悪が精神から来るものとすれば、我々には多すぎるほどの精神がある。
現在から、未来は生まれ落ちる。
身なりが顔つきや風俗を変える。
あらゆる宗教のうちでキリスト教は、疑いもなく最も寛容を教えたはずの宗教である。しかし、現在までのところ、キリスト教徒はすべての人間の内で最も不寛容な人たちであった。
有益な書物とは、読者に補足を要求せずにはおかぬような書物のことである。
数の威力は、それが理解できなければできないだけ、いっそう恐れられる。
人は刃物をふりかざさなければ、この世で成功せず、しかも、死ぬ時は手に武器を握って死ぬのだ。
食事もほどほどにしておかないと、コックも毒を盛る人になってしまう。
優れた人が賞賛されるのは、優れた行為のためだ。
時代の精神を持たぬものは、その時代のあらゆる不幸をになう。
愚者は名高い作者のものならなんでも賞賛する。
一国は他国の滅亡なしには勝ちえないし、不幸な人々を生ぜしめないでは征服しえない。それゆえ、自国の強大を願うことは、隣国の不幸を願うことである。
やったと思えばドジを踏む。それが人間の仕事です。朝に計画を立てても、昼にすることはへまばかり。
大衆はモノを書かない批評家である。
どんな人も他人の経験によって学び取るほど利口ではない。
君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る。
悪い政府の元で、正しくあることは危険だ。
勤勉は、退屈、不品行、貧窮の三悪を寄せつけず。
人を判断するには、どのように答えるかより、どのような問いをするかによるべきである。
あらゆる人は同等である。それを異なるものにするのは生まれではなくて、徳にあるのみ。
戦争は従属ほど負担が重くない。
考えに考え抜けば、解決できない問題はない。
教育は、さまざまな能力を伸ばしはするが、つくり出しはしない。
文人は生きているうちは諷刺され、死ぬと賞賛される。
疑い深い人は、自ら招いて、裏切られることになる。
結婚とは、臆病者のまえに用意されたたった一つの冒険である。
幸福は夢にすぎず、苦痛は現実である。
自国が決していっそう強大にも弱小にも、富裕にも貧乏にもならないことを欲する人こそ、世界の市民であるといえよう。
民衆が議論し始めると、すべてのものが失われる。
神は男を飼い馴らす為のみに女を創った。
運命は我々を導き、かつまた我々を翻弄する。
人類のいかなる種族も、倦怠な種族よりはマシだ。
話すように書かねばならぬ。
何はともあれ、我々は我々の畑を耕さなければなりません。