ウィンストン・チャーチルのプロフィール画像

ウィンストン・チャーチル

@01gr39sacr55vx0t5w2pkcrsh8

サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer Churchill)は、イギリスの政治家、陸軍軍人、作家である。1874年11月30日、イギリスの田舎町ブライトン・サンドハーストで生まれ、父親のレオナルド・チャーチルと母親のジェニー・ジェンキンスは、両親とも貴族であった。1900年のイギリス総選挙にオールダム選挙区から保守党候補として初当選(当時:25歳)し、すでに政治家として頭角を現していた。ヘンリー・キャンベル=バナマン自由党政権が発足した時、植民地省政務次官となり、英国領インド帝国でのパシュトゥーン人反乱鎮圧戦やスーダン侵攻、第二次ボーア戦争などを戦場で目の当たりにした。その後、不戦勝、子供乳母交替計画、イギリス領インド独立のためのたくさんの努力をし、イギリスの名声を世界に高めた。1965年1月24日、90歳で亡くなった。

恐れは逃げると倍になるが、立ち向かえば半分になる。
人類は、以前より目立って道徳的になったとか、これまでより賢い指導者に恵まれているとかいうわけでもないのに、自分たち自身の抹殺を間違いなく成就できる道具を初めて手に入れた。彼らはあらゆる栄光と辛苦の果てに、人間の運命のこのゴールに達したのである。人類は立ち止まって、おのれの新しい責任に思いをめぐらすがよいであろう。
我々の目的は、勝利、この二字であります。あらゆる犠牲を払い、あらゆる辛苦に耐え、いかに長く苦しい道程であろうとも、戦い抜き勝ち抜くこと、これであります。
不利は一方の側にだけあるものではない。
歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返して滅びる。
好転する前には、悪化するという段階もありうる。
最善のものも、過度に走れば、悪い結果になる。
復讐ほど高価で不毛なものはない。
嘘が世界を半周したころ、真実はまだズボンを履こうとしている。
我々は慈悲を見せるべきだが、求めるべきではない。
我々は、勝ったから慈悲深くすることができるのだ。我々は、強いから寛大でありうるのだ。
偉大さの代償は、責任である。
可能な手段だけでなく、また安易な手段や誰もが考えつく手段だけでなく、困難な手段、不可能と思われるような手段まで考えておくことだ。
成功とは、情熱を失わずに失敗から失敗へと突き進む能力のことである。
私は神に会う覚悟はできている。だが私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが。
流行を追う者は馬鹿だ。
愉快なことを理解できない人間に、世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。
世界とは、若者にくどかれ勝ち取られるためにある。
人は時々真実に突き当たってつまずく。けれど、ほとんどの人々は、再び立ち上がると、何も学ばないで、何もなかったかのように走り去ってゆく。
行動することは少しも恐れはしない。恐れるのは、ただ無為に時を過ごすことだけだ。
匂いほど、過去をはっきり思い出させてくれるものはない。
偶然、つき、幸運、運命、天命、摂理──これらは同じことを様々な言い方で表現しているにすぎないのだ。つまり、人間が自分の伝記に書き記すものは、外からのより高い力に絶えず支配されているというわけなのだ。
(各状況で必要な心構え)──戦争では決意、敗北では挑戦、勝利では雅量、平和では善意。
私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を言われようと何ともない。害になるよりはむしろ益になるくらいだ。
どんなことでも、大きいことでも、小さいことでも、名誉と良識とが命ずるとき以外は、断じてゆずるな。力に対し、ことに敵の圧倒的優勢な力に対しては、断固として絶対にゆずってはいけない。
何が本当に自分の利益であるかを知ることは容易ではない。
私は楽観主義者だ。それ以外のものであることは、あまり役に立たないようだ。
すべての偉大なることは単純である。その多くは、自由、正義、名誉、義務、慈悲、希望という、1つの言葉で表現できる。
重要なポイントを突くときは、如才(じょさい)なくやろうとか巧妙にやろうとか思ってはいけない。ポイントを一突きせよ。
現在我々は悪い時期を通過している。事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。しかし我々が忍耐し、我慢しさえすれば、やがて良くなることを私は全く疑わない。
大まかに言えば、短い言葉が最も良い。おまけに古い言葉なら一層良い。
海外にいるとき、私は自国の悪口を決して言わないことをルールとしている。
いらぬ取り越し苦労をするよりも、前もって考えたり計画するほうが大事だ。
事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。
決してあきらめるな!決して、決して、決して、決して!
築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。
目前にせまった困難や大問題にまともにぶつかること。そうすればその困難や問題は、思っていたよりずっと小さいことがわかる。しかし、そこで逃げると、困難は2倍の大きさになってあとで襲ってくる。
人間は真実を見なければならない。なぜなら真実は人間を見ているからだ。
真実を見つけるのと同様、真実をどう述べるかも重要である。
凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。
誠実でなければ、人を動かすことはできない。人を感動させるには、自分が心の底から感動しなければならない。自分が涙を流さなければ、人の涙を誘うことはできない。自分が信じなければ、人を信じさせることはできない。
完全主義では、何もできない。
克服された困難は、勝利の機会である。
私は鉄面皮の悪よりも、むしろ平和のための偽善をよしとする。
20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。
教育のない人間が名言集を読むのはいいことだ。
外交関係を維持する理由は、お互いにお世辞を言うためではなく、便宜(べんぎ)を確保しておくためである。
過去のことは過去のことだといって片づけてしまえば、それによって我々は未来をも放棄してしまうことになる。
政治家は敵対者に煽(あお)った憎悪によって判断されるべきだと常々思う。
狂信者とは、意見を変えることができず、話題を変えようとしない人のことである。
すべての政治体制が試されるまで、民主主義は最悪の政治形態だと言われ続けてきた。
未来のことは分からない。しかし、我々には過去が希望を与えてくれるはずである。
私が書くつもりになるくらいだから、歴史は私にとって親切なのだろう。
屈服してはならぬ。負けてはならぬ。譲ってはならぬ。
ベストをつくさなければならない時がある。必要なことをやらなければならない時もある。
人類の安全のために、地上の権力や地上の財産を軽視して不滅への希望を持つことが、これほどに必要とされる時代はいまだかつてなかったのである。
私にはいつでも喜んで学ぶ用意がある。だが、教えられるのはいつも好きというわけではない
危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。しかし決然として立ち向かえば、危険は半分に減る。何事に出合っても決して逃げ出すな。決して!
これは終わりではない。終わりの始まりでさえない。おそらく、始まりの終りなのだ。
真実は論争の的になる。悪意が攻撃し、無知があざけるかもしれない。だが結局、真実は動じることがない。
損失を招くことこそが悪徳である。
勇気はまさに人間に必要な第一の特質である。これが備われば、他の特質も自然に備わるからだ。
政治家は明日、来週、来月、そして来年に何が起こるかを予言できねばならない。そして後で、どうしてそれが起こらなかったかも説明できねばならない。
成功が上がりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である。
決して、決して、決してやめてしまうな。
先を見すぎてはいけない。運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。
目の前に多くの困難が横たわっていると、つい身をかわして他の者に仕事を代わってもらおうという気になりがちだが、私はそんな卑怯なやり方はごめんだ。自分の職務に踏みとどまって、義務を果たすために頑張り通す覚悟だ。
私は豚が好きだ。犬は我々を尊敬し、猫は我々を見下す。しかし、豚は我々を対等に扱ってくれる。
光の素晴らしい輝きはその影がなければ存在し得ない。人生は一つの全体であって、善も悪も共に受け入れられねばならないのである。
現代は、財産が人々の心情を決定するというより、むしろ心情が財産を決定する時代である。
夢を捨てるとき、この世は存在しなくなる。
悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。
勇気とは、起立して声に出すことである。勇気とはまた、着席して耳を傾けることでもある。
力を伴わない文化は、明日にも死滅する文化となるであろう。
大切なことは、力のない人の言葉が認められることである。
屈服するな。決して屈服するな。絶対に。自分の意志を曲げることなく、大事か些事(さじ)かにかかわらず、絶対に屈服するな。
成功とは、情熱を失わずに失敗から失敗へと突き進むことである。
向上とは変化である。完全になるとは、しばしば変化することである。
私の業績の中で最も輝かしいことは、妻を説得して私との結婚に同意させたことである。
私は忙しすぎる。悩んだりするヒマなんかない。
もしあなたが、過失を擁護する態度をとるだけであれば、進歩の望みはないだろう。
成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。
過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
変転する状況のただ中で、ひとりの人間が終始一貫性を保つただ一つの可能性は、すべてを支配する不変の目標に忠実でありながら、状況に応じて変化することにある。
成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない。大切なのは続ける勇気だ。
我々は得るものによって生計を立て、与えるものによって人生をつくる。
自分の主義を守るために政党を変わる者がいる。自分の政党を守るために、主義を変える者もいる。
世の中で、最もよい組み合わせは力と慈悲、最も悪い組み合わせは弱さと争いである。
決して屈するな。決して、決して、決して、決して!
孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
政治家に必要なのは5年後、10年後のことを予想できる才能であり、かつ、それが外れたときに言い訳ができる才能である。
絶対に、絶対に、絶対にあきらめるな。
私たちが勝ったとしても、たいしたことじゃない。でも、私たちが負けたら、かまってくれる人など誰もいなくなるだろう。
過去にこだわる者は、未来を失う。
日々正直に行動することが、成功に達する最も確実な道だ。
私の捧げ得るものは、血、労力、涙と汗だけである。
恐れおののいている間はまだ災いは本格的ではない。勇敢に立ち向かうべき時は、いよいよ手の下しようがなくなった時だ。
回想していると、ある老人の話が思い出される。その老人は死の床でこう言ったのだ。生きている間には数々の心配ごとがあったが、その心配が当たったことはほとんどなかった。
たとえ生死の境にあって、気持ちが極度に張りつめている時でさえも、他人の人生を思いやり、人類を支配する法則とは何であるかを考えてみるとすれば、必ず何らかの報酬が返ってくる。
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う。